P asquino パスクイーノ(ローマの風刺家) | |
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■■■■■■■■ パスクイーノと いうのは、1501年にオリヴィエーロ・カラファ枢機卿が、 ローマ貴族オルシーニ家から邸宅(現在ブラスキ宮のある場所)を購入し、 邸宅前の広場の整備工事をしている最中に偶然発見された古代ローマの像(ギリシアの彫刻)の名前です。 像は、その後枢機卿の希望で広場の角に置かれることになり、現在でもこの位置に置かれています。
パスクイーノの像 今でも台座に色々なメッセージが張られています ローマっ子は昔から、高慢な人々や腐敗した支配階級を皮肉ったり、ユーモアを交えて批判したり 風刺することを得意としていましたが、この頃から夜中にパスクイーノの像の台座に、 当時権力の乱用をしていた法王などに対する無記名の風刺詩が張られるようになりました。 翌朝、張り紙に書かれていることはローマ中に広がり、この現象は流行となって 街のあちこちにある像にまで張り紙がされるようになりました。 現在でも、これらの像は「話す像」として、ローマっ子に知られています。 これに由来して、今日でも辛辣な風刺をすることをイタリア語では「パスクイナータ(Pasquinata)」と言います。 パスクイーノの正体は、同名のロカンダ(旅館)の主とか、理髪店の主人とか、学校の教師とか、 はたまたスリッパ屋説まで登場しましたが事実はわかっておらず、余計その正体に興味をかきたてられます。 風刺の多くは法王へ矛先の向けられたものでしたが、その中でも最も有名なパスクイナータには、 バルベリーニ家出身のウルバーノ8世に向けられたものがあります。 「バルバリ(野蛮人)がやらなことは、バルベリーニがやってのける」 (Qquod non fecerant barbari, fecerunt Barberini) というもので、同法王が1633年にサン・ピエトロの巨大な天蓋を建設するために、 パンテオンの装飾に使われたいたブロンズを取り去って、その材料にたことを非難しています。 又、同法王がベルニー二に作らせた蜂の噴水に対しても、バルベリーニ家の紋章である蜂が ちょろちょろと水を出す様子を風刺して、「バルベリーニは(高い税金を)吸えるだけ吸っておきながら、 おこぼれ程度の水しか市民には与えてくれない」といったのも有名なパスクイナータとして知られています。 パスクイーノの死後もこの習慣は受け継がれ、代が変わってもこの習慣は市民の間に残りました。 1727年ベネデット13世により「パスクイナータと考られるものを書いたり、発行したり、 公表したした者は、死刑に処すという条例が出されました。 この頃のパスクイナータがいかに影響力を持ち、指導者達を震え上がらせていたかが伺えるエピソードです。
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パスクアーレの他に「話をする像」と知られているのは、マルフォリオの像、マダム・ルクレツィアの像、 ルイジ修道院長の像、ファッキーノの噴水、バブイーノの噴水などで、これらにもそれぞれのエピソードがあります。
古い印刷物のパスクイーノの像 (台座、後ろの壁などに張り紙がされています)
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