N ome di Roma ローマの名前の由来 | |
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■ローマの名前の由来の伝説■
ローマと言う名前はどこから来たのか?という問いの答えには、伝説的、幻想的なものを含め多くの説があります。 それぞれ、なかなか興味をそそられるものですので、そのいくつかを紹介します。 ■■■■■■■■ 紀元後4−5世紀に生きたセルヴィオの説。 ローマを横切るテヴェレ川の古代の名前がRUMONもしくはRUMEN(流れるというラテン語の動詞RUOが 語源となったもの)であり、その川沿いに繁栄した街であるローマの由来となった。 ■■■■■■■■ ギリシアの歴史家による説(その1) ローマはもともとギリシャの土地で、トロイアの難民がラツィオ州の海岸からたどり着いて築いた都市で、 指導者エネアが、船旅に疲れ船を燃やしてほしいと懇願した女性の名前ROMEを取ってつけたというもの。
ギリシアの歴史家による説(その2) ROMEはアスカニオの娘で、エネアの孫の名前であるという説。
ギリシアの歴史家による説(その3) 仲間達と一緒にイタリアへ辿りついたトロイア人女性がラテン人と結婚をして設けた双子、 ROMYLOS と ROMOS(ロモロとレモ)がここに都市を築き、母親の名前ROMAを取って名づけたもの。
この3つの説に登場する共通の名前ROMEにはギリシャ語で「力」(ROME’)という意味があります。 ■■■■■■■■
■■■■■■■■ 最も良く知られている伝説 この地へ街づくりをすることを決めた双子のロモロとレモは誰が支配者になるかを、 (当時よく行なわれていた)鳥占いで決定しました。 レモの住むパラティーノの丘の上には空が黒くなるほどの鳥が飛び、 ロモロの住むアヴェンティーノの丘には数えるほどしか鳥が飛ばなかったため、 レモが支配者となることが決定しましたが、それに対して気を悪くしたロモロは、 お互いの領地の侵入厳禁の規則を破り、レモの領地であるパラティーノへ侵入しました。 激怒したレモは、兄弟だけでなく神をも屈辱したとして、今でも語り継がれているフレーズ 「この壁を越えたものは誰であろうとも死刑に処す」と言い、知らしめのためにレモを殺害しました。 そして、この新しく誕生した市に、自分の名前であるローマと名づけました。 古代の人々もこの話には伝説と神話が混ぜられていることに十分気がづいていたはずですが、 宗教的な敬意をもってこの説を受け入れ、語り継がれてきました。 しかし、実のところロモロの名前がローマの名前の由来であるという説もあります。 ■■■■■■■■ その他の説 この土地は紀元前2000年頃、RUMAと呼ばれており、これがラテン語の発音でROMAになったという説もあります。 RUMAにはどのような意味があるのを見ると、RUMAのバリエーションとなる、RUMIS、RUMENという言葉は、 古代ラテン語、エトルリア語ともに「乳房」という意味に由来していることがわかります。 子供に授乳する(=人々を養う)乳房という意味以外に、胸の中に秘められている「力」 (ラテン語のVALENZIA、ギリシア語のROME’)という意味も持ちあわせています。 この仮定では、ローマのシンボルでもあるエトルリア風の像の「乳房」を膨らませた狼が、 双子(ロモロとレモ)を授乳しているシーンとすりあわせることができます。
この狼の彫刻は、ポポロ広場のテベレの噴水の彫刻の間にも置かれています(1823年チェッカリー二作)。 又、ブロンズ製の像は市庁舎広場、カピトリーノ美術館で見ることが出来ます。
ヴァローネによると、 ローマの誕生したのは紀元前753年の4月21日(古代の5月の暦の11日目)ということになっています。 |